体の自由な感覚、忘れていませんか?
何があなたを縛って苦しめているのでしょう?
現代の多くの人が心身共に安らぎや自由な感覚を忘れています。
赤ちゃんの頃は誰でもリラックスできていたはずなのに・・・
実は私もその一人でした。
なぜそんなことが起きてしまったのでしょうか?
親からの解放
子供時代にすでに起きていた体の緊張感!
私はサラリーマンの父とパートの母、兄の4人家族という、一見ありふれた家庭で生まれ育ちました。
ですが、心が不安定な父はいつキレるかわからなくて、家では酒浸り、仕事も続かないという性分。
小さい頃は父の怒鳴る声や大きな物音で目が覚め、ことが収まるまで布団にもぐって耳をふさいでいるような子供でした。
あんな理不尽なことをされてお母さんがかわいそう。
息が詰まりそうな日々から逃げたくて、早くこの家から出て自由になりたいと思っていました。
父の機嫌や態度の様子をうかがうアンテナを張る癖がつき、心からリラックスできた状態をその時に忘れてしまったような気がします。
親や周囲の大人からは繊細な子、敏感な子と思われていました。生まれ持ったものなのか、早いうちから鋭い感覚が養われるきっかけになっていたのかもしれません。
息が詰まるような感覚は小学校でも続きました。
私は食が細くて給食を全部食べられませんでした。食べ終わるまでは片づけることができなかったので、みんなはお昼休みで遊びに行くのに、私は生ぬるい牛乳とつやがなくなって固くなったご飯をずっと見つめていました。
残すのはよくないと頭で理解できていても、食べ物が目の前に来ると喉がふさがってしまうのはどうしてかわかりません。
同じようなクラスメイトが吐いてしまうまで食べているのを見て苦しくて辛かったのを覚えています。
学校では全く食べ物がのどを通らないのに、家にいるとお腹が空いて食べられる。
給食の時間がこわくて学校に行けなくなった時期もあり、そんな風に心と体が繋がっていることは薄々感じていました。
私には墓場まで持っていくつもりだった秘密もありました。
それは自分が生まれた性別と反対の身体に変えたいということ。
今となってはLGBTは受け入れられやすいですが、自分がその当事者であることを恥ずかしいとしか思えませんでした。
カミングアウトしたら周りはどんな反応をするだろう?という恐れと、家族にも迷惑がかかるし、父からしたらたったひとりの娘・・・わかってくれるはずがないと思って黙っていました。
心の中では誰にも迷惑をかけないで、誰も自分の過去を知らない場所で男としてイチから人生をやり直したいと思っていました。
強くならなければ!しかし体はいうことを聞かなかった
中学時代は近所の先輩に誘われてソフトボール部に入部。体育会系にありがちな上下関係とハードな練習にもまれる日々。
先生から飛んでくるのはボールと、「弱い!」「もっと強くなれ!」という言葉。
頑張らなくてはいけない。誰よりも強くならなくてはいけない。
先生や周りが求める基準を受け入れ、認められたくて周囲の価値観に合うように頑張っていた気もします。
高校生になると部活もやらず、一時はプロを目指して打ち込んでいたサッカーも熱中できなくなり、アルバイトや習い事、いろいろなことが長続きしなくなりました。
友人や環境には恵まれていましたが、女性化が進むしっくりこない身体と毎日付き合うのがしんどかったです。
早くこの身体から解放されたい。お金を稼いで手術して自立したい。という思いと、どうやって仕事を探して生きていけばいいのだろう。という不安が心の中でうごめいていました。
自立への第一歩!しかし立ちはだかる親の壁
医療に関わりたかったのと男女の差があまりない職種(と勝手に考え)、男性として独立していく準備をしようと柔道整復師の専門学校への進学を決めました。
入学式直前、このタイミングしかないと思って、まず母に男性として生きたいことを打ち明けました。
うすうす気が付いていたようですが改めて伝えるのは勇気がいりましたし、母も簡単には受け止められなかったと思います。
男性として生きるには病院で診断を受けて協力を得ることと、家族全員の理解を得なければなりません。
もっとも嫌だった父へのカミングアウト。それから、今まで何があってもやったことがない家族会議をしました。
自分の意思を伝えたことで道が拓けたのと同時に、こんな生き方しかできなくてごめんなさいという両親や家族に対する罪悪感とこれから向き合わなければなりませんでした。
親戚づきあい、学校、課題はたくさんあります。
入学するときには女性のままでしたが男性物のスーツで出席し、後で学校にも相談をしてできる範囲で扱いを変えてもらいました。
心療内科にも通い始め、学生時代にできる限りの男性化を進めて、社会に出る頃には戸籍上も男性として再出発したいと思っていました。
女性として入学して、途中から男性として生活する宙ぶらりんな生活。それでもやりたいことに集中できていたので少しづつ将来に希望が持てるようになりました。
ところが、もうすぐホルモン療法を始められる!という段階で、元々ころころ変わりやすかった父の態度がひっくり返ったのです。
「お前はわがまますぎじゃないか? 学校を取るか、注射を取るか決めろ」
本当にがっかり。
わかってもらえない。どうして妨害ばかりしてくるんだろう。
父といる限り自由になれないと、失望と絶望で生きることも全部放り投げてしまいたいと思いました。
それからしばらく学校にも行かないでぼーっと部屋にひきこもり、何もしたくないというか、何もできない状態でした。
しばらく経って…「このままでいいの?」と母から援護があり、もう一度父と向き合おうと思いました。
それから「言った言わない」「聞いた聞いていない」のしんどい話し合いのあとでようやく父を説得し、学業とホルモン療法を同時に進めることができました。
そして身体が少しづつ男性に近づいていき、心もかなり安定しました。
卒業して国家試験も無事に合格した後、お金を貯めるために1年間のフリーターをして手術の資金100万円を貯めました。
やっと手術ができる…と思ったら、、今度は国内の手術が中止になってしまいました。
当時は海外での手術は医師から認められていなかったので、私のような “手術難民” があふれました。
独断で海外に行く人がいる中、医師を説得し、つたない英語を使って自力でタイの病院を予約して手術に行くことにしました。
幸運にもタイ人の友達を持つ日本人の友人がいて、現地では友達の助けがなければ叶わなかったことなので今でも感謝しています。
おかげで手術を終えて戸籍も男性に。
人生の再スタートは整骨院に就職。自分で稼げるようになって念願のひとり暮らしが叶いました。
自分の心に余裕ができたのと、実家から出たことで父とは少しいい距離感になりましたが、生計を支えるためにパートを掛け持ちして、さらには家事もすべてこなしている母の姿を思い出すとどうしても嫌な気持ちになってしまいます。
母の負担を減らし、安心してもらうためにも頑張って働かなくては…と思っていました。
マニュアルからの解放
自由!独立!解放!と思っていたが…
整骨院の仕事は覚えることもたくさんあって忙しく、毎日が勉強で充実していました。
患者さんに楽になってもらいたいの一心だけで、気づいたころには指名No.1になれるほど信頼をいただいていました。ですが精神はかなりすり減らしていたと思います。
朝早くから夜まで働き、帰ってからも参考書を開いたり仕事のことを考える。
仕事には組織としてのやり方やルールがありますが、必要なことだと理解していても、どこかでもやもやする「マニュアル」の壁。
「こうしたらもっとあの人の悩みや症状に応えられるのでは?」と思うのに、みんな同じやり方をしなければならない歯がゆさを抱えていました。
違和感をわきに置きながら毎日施術をする日々。
整骨院には多い時で一日130人くらいの患者さんが来ていましたが、施術をしてその場で楽になってもまた元に戻ってしまい、改善していく実感がなかったことが自分のストレスを大きくしていたのかもしれません。
自分が施術をするのは30~40人近くなるときもあり、Tシャツは絞れるほど汗をかき、トイレに行くのも忘れるほど「さばいてもさばいても」溜まっていくカルテ…。
そのうちに毎晩夢の中でも仕事に追われるような感じ、眠りが浅くなってお酒を飲まないと寝られない。
この状態をずっと続けるのはきついなぁと思っていた頃、身体がおかしくなりはじめました。
マニュアル通りにしかできない施術への不満が体に現れる
突然来る。
呼吸がしずらい感じ、動悸、血の気が引いて気を失うんじゃないかという不安、変な汗、しびれ、吐き気。
はじめて起きたとき、「これがまた来たらどうしよう」と思いました。
パニック障害の症状だということは後になってから知りましたが、自分がパニック障害になるなんて考えてもいなかったし認めたくもありませんでした。
何とも言えない症状が急にどっと押し寄せて、どうなってしまうのかわからない恐怖。
すっかり忘れて何事もなく過ごしているときもあるのに、なんの前触れもなくやってくる。
パニック障害なんて恥ずかしくて言えない。と、だましながら過ごしていました。
パニック障害を通じて、小さい頃にうっすら気づいていた身体と心のつながりを改めて感じることになります。
私のパニック発作はだんだんと酷くなってだまし続けるのが難しくなっていきました。
できるだけ症状が出そうな状況を避けたくなり、遊びの誘いは理由をつけて断り、あまり家から離れたくありませんでした。
その頃、転職を考えていました。
ある程度経験を積んで自信が付いて他の治療院のやり方に興味が湧いたり、今の自分の実力が外に出たらどのくらい通用するのか知りたくなったからです。
心機一転もかねて、環境が変われば体調も良くなるかもしれない…とも期待しましたが、結果は逆。
電車に乗ってドアが閉まった瞬間。逃げ場がなくなると症状が出始めます。途中で休んでもいいように何十分も早く出発したり、混んできたら降りて休んで…を繰り返し、職場につくころにはへとへと。
大勢が集まっている会議の閉塞感も息が詰まり血の気が退いていきます。
職場を変えても症状は改善せず
ずっと迷っていましたが会社の人に相談すると、パニック障害と共存しながら働けるようバランスを取ってくれました。
温かい上司や同僚にも助けられ、働きながら仕事のチャレンジも学べたのは会社のおかげです。新しい整骨院の立ち上げ、管理職や施術者の育成に関わること、メニューの作成、施術マニュアルの監修など経営にも必要なスキルを学ばせてもらいました。
ひととおり経験し、組織としての働き方や施術マニュアルのメリットもよくわかりましたが、自分がやりたいことではないというのもはっきりしました。
このころには、不眠、パニック、広場・会食恐怖など、名前を付けたらいくつにもなる精神症状が出ていました。
人と自然に遊べない、好きな人ができてもパニックが不安で出かけるのがこわいなんて言えなかったのが辛かったです。
周囲の理解と優しさはありがたいけど、それでパニック障害が治るわけではありません。
いつかは自分でなんとかしなければなりませんでした。
パニック障害は通常、検査をしても特別な異常はありません。
心の問題が体に現れるので、身体に出てしまう不快な症状を抑えるための薬はその場しのぎにしかならず、根本的な改善法は主にストレスを洗い出すこと、それから不安になる状況にあえて向かっていって慣れるための認知行動療法をします。
ですが、頑張って向かおうとすればするほど「辛かった」記憶しか残らないのでよくなる気がしません。
心療内科に行こうか…市販薬を使ってみようか…と思うこともありましたが、根本的ではないのはわかっていたのと、当時からお付き合いしていたパートナーであるゆうこ先生は反対。
それから、ゆうこ先生がボディートークという施術を知り、これなら薬のリスクなく何かが変わるんじゃないかとセッションを受けるよう促してくれました。
実はボディートークとの縁をつないでくれたのはゆうこ先生だったんです。
運命からの解放
身体からのメッセージを真摯に受け止めた結果?
その頃はまだ、ボディートークってなんだか怪しいなぁと思ったまま施術を受けに行きました。…でもこれが私にとって人生のターニングポイントのひとつ、スピリチュアルな世界に足を踏み入れるきっかけになりました。
ボディートークはざっくばらんに、「身体は嘘をつかない。自分のことは身体がよく知っている」という考え方で身体の声を聞いて問題個所のバランスを修正し、自然治癒力をサポートする施術です。
はじめてセッションを受けたときは、過去に失神した記憶と光の刺激に対する身体の反応やアドレナリンの分泌のバランスを取るというような内容でした。
私しか知らないことを言い当てられて驚いたのと、私の場合は呼吸が楽になってパニックにならず電車に乗って帰ることができ、回数を重ねてだんだんと楽になっていきました。
今まで知っている治療法とは全く違う方法で症状が軽くなっていく…不思議な世界があるんだなぁと思いました。
超能力じゃないから学んだら誰でもできるようになると言われましたが…本当かなぁ?と、興味と疑いと恐れが入り混じっていました。
探し求めていた答えは意外なところにあった
小さい頃は自分が今のようにスピリチュアルなことをするとは考えてもいませんでした。
小学生で天体にハマり、プラネタリウムに連れて行ってもらったり、天体望遠鏡を買ってもらって真夜中に星座や惑星を見ていたのは、今思うとそういう世界とご縁があったのかなぁと思います。
肉眼では見えない土星の環が、天体望遠鏡のレンズを通すと見える感動。
真冬の夜のしんと凍るような静けさの中に浮かぶ青くて白い光を放つプレアデス星団。
手には取れないのに、見える、感じ取れる世界。
肉眼で見えない世界が、レンズを通すと見える世界が変わる。小学生の頃はそれを見ているのが好きでした。
男性として生きてしばらく経って、「どうして自分はこの人生なんだろう?」と考えるようになりました。
どこにいったらその答えが見つかるんだろう。
どうして生まれ持った性と肉体を受け入れられないのか、何が自分をそう思わせるのか。自分の頭ではいくら考えても理由も原因も見つかりません。
「こんな生き方しかできない罪悪感」をちっとも消化できなくて苦しんでいました。
ボディートークでは肉体を超えた領域を読み取る
ボディートークでは「エネルギー」「チャクラ」「惑星」「ハウス」「マトリックス」という概念も学びます。
チャクラはヨガなどで使われる7つのチャクラが有名ですが、頭のてっぺんのさらに上に8番目のチャクラがあって、魂が「私」という肉体に転生するときに何らかの過去生の情報を拾ってきて、今生で引き継いで解決しようとする。それが宇宙全体の恒常性につながっているというのを学びました。
人間視点だと理解できませんが、人間は地球の一部であり、地球は宇宙の一部なので、地球の視点や宇宙の視点は違います。
まだボディートークを学び始めて間もない頃、セッションを受けたときに第8チャクラが出てきて「同性愛に悩んだお坊さん」の影響のバランスを取ると言われました。
その情報になんの根拠もないのですが、そのとき私は性別にこだわってしまっていた要因のひとつかもしれない…と思いました。
運命について学びを深めた結果?
後で第8チャクラの概念を学ぶ「心身の大宇宙」というセミナーを受けたとき、私が選んでいることと魂が選んでいることがあって、どんな肉体、どこの親から生まれてくるかは選べないけど、宇宙全体の恒常性から起きている事は自分に原因がなく、どうにもならない。
変えられる部分をどう磨いていくかが人生では大切で。変えられないことを変えようとして葛藤するよりも、いかに受容できるかが豊かな人生のポイントになる。
という考え方を知り、そっか!なんでも自分のせいにしなくていいのかと、すごく気が楽になったのを覚えています。
また、眼に見える肉体のみを扱っているのが今の医学ですが、人間は肉体・心・精神・魂といったいくつものレベルで構成されています。ボディートークを学び続けているうちに、治療の仕事も人生も “常識” と言われる世界でゴリゴリに固まっていた自分に気づきました。
常識や理屈では説明のつかないことがたくさんある。
ボディートークを学んでいるうちにだんだんとフラットな自分でいられることが増えて生きやすくなり、クライアントさんのために学ぼうと思って始めたつもりが、実は自分のためになっていました。
私のセッションを受けてくださった方の中にも身体や人生の様々な変容が起きはじめました。
どこに行っても変わらなかった症状がよくなって悩みが解決されたり、人間関係に悩んでいた人が解放されたり、負の連鎖が解消されたり。
その人が何かから解放されたり楽になる姿をみれることが一番嬉しい瞬間です。いっそう仕事にやりがいを感じられるようになりました。
整体を受けたいといらした方をみて「この方は身体だけじゃない気がするなぁ…」と直感的にもわかるようになっていき、ボディートークから派生してたくさんのエネルギー、精神の分野の勉強に興味が向いていきました。
それなのに、実は相変わらずスピリチュアルという言葉の抵抗感を拭えずにいました。
スピリチュアルなコンサルティングをはじめるきっかけ
常識を超えた世界のご縁で魂がさらに目覚めた
ボディートークを一通り学びそのすばらしさを知った一方で、やはりボディートークでもなかなか結果が出ない人が一部存在することがひっかかっていました。
私の知識や技術が至らないことはもちろん考えられます。ですが “井の中の蛙” になっていないかが心配でした。もしかしたら別のヒントが他の世界にもあるんじゃないかとも感じていました。
また、学び続けるとできることが増えていい反面、メニューが増えてしまうのも悩みで、私自身がそれを分けて使うことに束縛感を感じはじめていました。
その人のために自分の知っているすべてを使って、自分にしかできない施術を必要とする方にお届けしたいと思うようになりました。
スピリチュアルという言葉はぼんやりとしているのが、私がこの言葉を好きになれない理由でした。日本ではなおさらです。
ボディートークは一見スピリチュアルな施術ですが、実は量子力学論という物理学に基づいた論理的な施術で、世界中の医師や研究者も学んだり講師になっています。
そういう意味では、 “地に足の着いたスピリチュアル” と言ったら伝わりやすいかもしれません。私がボディートークを通じてスピリチュアルの抵抗感を和らげられたのは論理的だったからだと思います。
学んでいくうちに漠然としていた「周波数」と健康の関係が腑に落ちて、音(音楽)が人を癒す原理がわかり、楽器や音を取り入れた施術にも興味を持ちました。
音と言えば、お坊さんのお経。お経によって魂が供養されるのはもちろん、お坊さんの音(声)がいいとその場にいる人も癒されることがあります。
そんなふうに世界はどこまでも広く可能性がたくさんあります。
世界には霊的能力や呪術、ご祈祷…様々なやり方で人を治している国や文化がある。今まではテレビの向こう側のファンタジーだと思っていたけど、できるなら触れて学んでみたいと思うようになりました。
そう思い始めた頃、「ナオキの使命は単なる医療ではなくてスピリチュアルな仕事だよ!」
と、人生のどん底で苦しんでいる人を四柱推命で助ける仕事をしている四柱推命鑑定士の友人にも後押しをされ、シャーマンとご縁をつないでくれました。
身体を変える「だけ」なら他の人でもできます。眼に見えない情報にアクセスして、その人の深いところが変化する触媒のような存在になることが自分にしかできないお役目なんじゃないか。というのがはっきりしていきました。
一方で自分を拒絶されることや馬鹿にされることがすごく怖かったので、 “スピリチュアルな世界” に真剣になったら同じような目に遭うんじゃないかととても不安でした。
ボディートークのことでさえはじめは話すのをためらうぐらいでしたので。
自分の生き方を後ろ指さされた経験があるからかもしれません。
自分の思うことに自信がないままずっと生きていたから、「本当にこの道でいいのか」と、事あるごとに考える癖が根強く残っていました。
インド占星術を通して魂の目的とタイミングを知り覚悟を決める
インド占星術(ジョーティッシュ)を学びたいと思ったきっかけは、ボディートークの勉強の中にインド哲学が多々含まれていて、その知識を深めることがボディートークの理解を深められると思ったからです。
ボディートークを学ぶ前の占星術のイメージは、占い、いいことしか信じない、とか、エンタメの一部のような存在でした。
ですが、実際は月が地球の潮の満ち引きや女性の生理周期に関係するように、宇宙全体が私たちを取り巻く環境の一部であることを学びました。
それが腑に落ちたのも、ボディートークの勉強は複雑ながらも理論的だったからだと思います。
「医療占星術」という分野があって診療に活用している医師もいます。インドはアーユルヴェーダというインド医学の国。
中医学ともつながる世界を知ってより広くアプローチできるんじゃないかと思ったのです。
生年月日、出生時刻、出生地から見える星座や惑星の配置でその人の性質や体質、人生のテーマやタイムラインが読み取れるのは他の占星術でも同じ。
星読み…これって、星空に夢中だった小学生の頃と似てる…
インド哲学の考え方のひとつは、人の肉体は滅びるけど魂は輪廻転生を繰り返している。
その目的はカルマを燃やすためで、ひとりひとり違う課題に人生の中で取り組むことで宇宙全体のバランスをとっているため、一生でよりたくさんのカルマを燃やすのに適した親、環境を宇宙から用意されて魂は肉体に宿される。とのこと。
インド占星術は生年月日と時刻、出生地から、魂の目的を読み解いてほんとうの自己を理解し、魂の真の目的や宇宙の法に沿って生きることを実践してよりよい未来を切り拓いていくツールとして使われています。
わたしが経験してきたことも占星術的にみれば起きるべくして起きたものとわかり、葛藤を乗り越える手段は、とことん向き合う他に、理解するという乗り越え方も手に入れました。よく言えば「星のせい」、何でも自分のせいだと必要以上に苦しまなくていいんだと気持ちが楽になりました。
性の葛藤を特殊な形で消化し、スピリチュアルへの抵抗を外して仕事で表現すること。自己表現にまつわるたくさんの恐れを努力して改善していろんな制限から自分を解き放つ。その経験を活かして人を助ける。
そのとおり、自分のこれまでの生きてきた道を誰かに伝えたり、スピリチュアルなことをしていると表現するのにはすごく抵抗がありました。
恥ずかしさや他人の評価が気になってしまって自分の好きなように表現する恐れがいつもありました。ですがしんどいなぁと思っていること自体が魂の課題だと理解できたら受け止め方が変わったのです。
シャーマンからの指導も掛け算になって、つながっている感覚を自分の使命に使いやすくなったのか、クライアントさんが次々と変容していくとともに、見えない何かに後押しされるような感じで学びも仕事も進んでいきました。
スピリチュアルという言葉に対する抵抗感もようやくなくなってきたというか、抗うことをやめて流れにゆだねられるようになったのかもしれません。
肉体レベルを超えた変容を引き起こす施術
神や自分の魂とつながっている感覚というのは理屈で分かるものではありません。
シャーマンが教えてくれる内容はボディートークで学んだこと通じていたので、理論的にはスッと入るのに、身体の抵抗が取りきれずにいました。(これもインド占星術から読み取られていました)
回数と練習を重ねてようやくつながりを感じられるかなぁと思えるようになってきた頃、クライアントさんにも今までとは違う変化や新たな関係性が生まれはじめました。
突然、ご本人が哲学的なことに興味が向いたり、人生を見つめたいという思いを持たれた方がいらっしゃるようになったり、何か人生での大きな転換期を迎えている方がいらっしゃるようになりました。
気づけば、単に整体をやることよりも、肉体や健康問題を超えるスピリチュアルな部分を扱うことが増えていきました。
私の直感やシャーマンの指導で得たつながっている感覚をそのまま受け取って、抵抗しないで使うことが人の役に立っているというのは、まさにいろんな思い込みや制限から解放された感覚です。
私の知っているすべてをもとに、鋭い直感を使ってあなたに寄り添うことで苦しみや心の重たさが魂により近い深いレベルで解き放たれ、みんながもっと軽やかで安らぎを感じられるような世界にしていきたい。
そう思って今回の特別セッションを作りました。
自由な感覚がどこかに行ってしまって苦しい。
なんでかわからないけど人生しんどい。
何のために生まれてきたのだろうと考える。
頑張って生き続けて疲れてしまったのでほっとしたい。
力を抜いて生きていきたい。
そんな時に私を思い出していただけたらうれしいです。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
特別セッションのご案内
鋭い感覚で解放と変容を促すクリエイティブコンサル
セッションの間スピリチュアルな領域とつながって、あなたに必要な情報やエネルギーを下ろし、現実との懸け橋になります。時間の中で取り組んでいきたいテーマを伺い、新たな気づきや変容を促し、必要な時にはテクニックを使います。
身体が発しているテーマから眠っている真の原因を突き止め、より自由な感覚を思い出して人生を過ごせるようサポートします。
例)
- インド占星術を使って、生まれ持った性質や今取り組むべきテーマを知る
- 自分を苦しめている意外な原因に気づき、そこから自由になる
- 今抱えている困難の奥底にある原因を潜在意識から分析してクリアにする
- 魂レベルの自分と現状の自分とのギャップを埋めていく
テクニックの一例
- お悩みに関してのコンサル・カウンセリング
- 身体の発するメッセージをキャッチし読み解く
- 感情に囚われているストレスから解放する
- ストレスやトラウマの軽減
- 過去生や遺伝的な影響の軽減
- 潜在意識の課題の解決
- 人間関係のエネルギー調整(家族や職場、チームなど)
- 占星術
- ライフプランニング
- セルフテクニックの伝授
など
特別セッションでできること
病院や薬やあらゆる施術、肉体レベルでは解決しない身体の不調を他のレベルからアプローチすること。
孤独感や苦しみ、葛藤を和らげ、病気や障害を持っていてもいなくても自分らしく生きるのをサポートすること。
その人が持っているあらゆる可能性や力を引き出し、生きる力と自由を取り戻すお手伝いをすること。
できないこと
診断や検査をしたり処方箋を出すような医療行為に当たること。
その人の人生を私が変えること。「こうしなさい」というような指示。
絶対こうなりますというような保証や予言をすること。
対象のかた
- 心身魂ともに自由な感覚を取り戻したい方
- 人生がしんどい理由を一緒に読み解きたい方
- 人生の意味や目的を知りたい方
- 頑張って生きてきて疲れてしまったのでほっとしたい方
- 力を抜いて生きていきたい方
セッションの流れ
①予約する
予約フォームまたはメールよりお問い合わせください。
オンラインをご希望の方はご相談ください。
メールの連絡先
②セッション当日
リラックスできる服装でお越しください。対面でお話を伺いながらセッションを進めていきます。
到着時間が早すぎると前の方がいたり準備で入室できないので2~3分前を目安にお越しください。
受付時間
10:00~20:00
※出張、時間外やお急ぎのセッション依頼はご相談ください。(出張の際は交通費は別途いただきます。)
料金(1回あたり・税込)
90分 | |
120分 | |
延長30分 | 9,000円 |
※只今特別料金にて提供中です(キャンペーンは予告なく終了しますのでお早めにお申し込みください)
※他の割引との併用はできませんのでご了承ください
お支払方法
現金、銀行振込、クレジット、Paypayがご利用いただけます。オンラインの方は前日までにお支払いの完了をお願いいたします。
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