FemaleがMaleに向かう②

性別移行の途中。学業、名前の変更、うんぬん

FemaleがMaleに向かう① もあるよ。

日々の積み重ねなのは、健康も未来も男性化も一緒。
戸籍上男性になって11年過ぎたんですが、それ以前から出会っている人は私の変貌ぶりも知っている(笑)

性別変更の旅をスタートさせたのは19歳の頃。
まず、専門の心療内科でカウンセリングを続ける(約1年)。
性同一性障害と診断を受けた後は、実際に男性化に進むために生活を変えていく。

リアルライフテストといって、今までと反対の性別で生活してみてどう感じるのかとか、うまくいかないことはあるのかを体験する時期がある。

それでもあなたは反対の性別になりたいですか?みたいな問いを繰り返して、ゆるぎない決意があれば、その後にホルモン療法や外科手術の選択権が与えられる。

名前

名前も、男性として通用するのに難しい名前なら改名に向けて準備をするが、今日決めて明日完了することではない。

私は物心ついたときには自分の名前が嫌だったし、ちゃん付けされて名前を呼ばれるのも気持ちが悪かった。(今はかとちゃんって呼ばれても嫌じゃないけどw)

見た目は男性でも、氏名を書けば女性なのがばれてしまう。

改名のステップ

  1. 名前を決める(ここでは通称名という扱い)
  2. 送られてくる郵便物や会員カードの名前を通称名に変えてもらう
  3. 家庭裁判所に申し立てをする
  4. 裁判後、許可が出たら戸籍の名前が変更され、公的にも通用する

通称名で送られてくる郵送物や書類が、裁判の時の証拠資料となり、「私は通称名で社会で通用しています。戸籍上の名前だと通用しなくて不便なんで変えさせてください。」と、アピールになる。

友人に年賀状とかを通称名で送ってもらい、通販も通称名で登録。

名前はどう選んだかというと、いくつか候補を挙げた後はネットの画数診断…(笑)

で、診断書と資料を握りしめ、家庭裁判所へ。
この時は呼び出しはなかったかな。しばらく経って裁判所から郵便で、「主文、~」の文書が届き、無事に名前が変更された。

その後は銀行やらなにやらの名前の変更。事情の説明が面倒なこともある。

名前の変更が済んだら、氏名を書くストレスがなくなったよ。
性別に〇をつける書類はまだしんどかったけど。

学校生活(高校・専門)

私がカミングアウトを始めたのは高校生の時。
男女に分かれた制服が当たり前の時代、もちろんスカートを履いて通学していたんだけど、途中から理解ある男友だちにズボンを1本お借りして使っていた。

学校への許可は得ておらずだったけど、これが意外にもバレない。
とはいえ、頭髪検査の時にバレていきさつを話し、「式典以外は可」とお許しを得る。

トイレは基本的に誰もいない時間(わざと授業中に行ったり)や人気のない場所まで足を運ぶ。
多感な時期だからうんこをしたくて別棟のトイレを使っている男子生徒がいたが、私も似たような感じだ。

生理の時はどうしていたかというと、学校をサボることもあった。
別にお腹が痛いからとかじゃなく、生理用品を持ち歩き女性を感じなくてはならないのと、心配で頭がいっぱいになってしまうから。

幸い、高校にはプールの授業がなかった。珍しくプールそのものが無かった。


専門学校は昼間部と夜間部に分かれていて、1日当たりの授業数は2コマしかなかったので、丸一日いなくてはならない小学校~高校の生活よりはうんと楽だった。

私にとっては視覚を取りに行くための塾のようなもので、人間関係も今までより深くなることがなかったので割り切って過ごせた。

それでも色々悩んだことはある。当時は何でもかんでも性別のせいにしてしまう所があったんだけど、後になって考えれば普通の人間関係の悩みと同じだったな。

柔道整復師の履修項目には柔道がある。
道着を着て、形を習ったり取り組みをする。

改名やホルモン療法を始めたのは専門学校に行ってからなので、この3年間は色々変化した。
入学したころは女性。それから名前が変わって体が変わって…2回目の第二次性徴期(笑)を経過し、私のことを良く知らない人はきっと戸惑っていただろうなと思う(笑)

柔道の話。だって声変わりして男性的になってきたのに、習う時はほぼ女性と組む。
事情を知っている人に囲まれていたとはいえ女子か男子に二分化すると扱いに困る存在だよね。

道着は女性用、名前は男子、見た目も男子、戸籍は女。
柔道初段認定は女性名。国家試験と卒業証書は男性名。戸籍上はまだ女性。
それでも、当時の学校の方や友人はよくしてくれた。

今でも良くしてくれる数少ない同期には本当に助けられた。


実は、専門学生2年目頃。学校を辞めようと思ったことがある。
それは治療のステップが進んで、ホルモン療法にかかろうとした時。
父親が突然治療を反対し始めたのだ。

柔道整復師の専門学校に行って資格を取って、男性として社会に出た後は自分で開業したい。

そういう計画で、からだの変化は専門学生のうちする予定だったから。

「治療を選ぶか、学校を選ぶかどっちかにしろ」

ここでは詳しく書かないけど、父親との関係、特に私が父親に抱く感情は小さい頃からよくなかった。
父親の生き方を見てきて、はっきり言って信頼がなかったのだ。

自分の相談についても、帰ってくる返答は父親の気分によって180度覆る。
この時が初めてじゃないのに、とてもショックを感じたのは、自分の人生を賭けていたからだと思う。

しばらく学校に行かなかった。
考え、学業よりも体を変えたい。
辞める決意をし、再度父親と話をしようと向かい合った時、返答はまた180度覆った。

「両方やっていいよ」

この怒りはだいぶ小さくなったけど、今こうして思い出して書いていると感情が湧いてくるから、まだ消化できていなんだ。

父親の視点に立って考えれば反対したい気持ちはわかるんだけどね。

そんなことがあったけど、結果、治療も学業も両方手に入れることが出来た学生時代でした。

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