“諦め”のちから

不安や心配、恐れは、未来に向かって生じる感情。

過去を心配したり未来を後悔するのは難しい。

 

では、諦めはどうなのだろうか。

過去のある体験や出来事をもとに、選択肢の一部を断つことと思う。

 

諦めた、諦める、諦めたい、諦めよう…諦めの使い方ひとつで、過去も未来も現在も変わる。

過去の出来事自体は変わらなくても、その出来事に対する印象や記憶の保存のされ方が変わる。

ただの思い出のはずが、哀愁漂ったり悲嘆となったり。

諦めは時間軸でいうと全方向に影響力があるのかなぁ。

 

わたしは諦めた途端に力を失ったような気分になると気づいてからは、この言葉をあまり使わないようにしていたけど、こうしてブログを書きながら、それもちょっと違うかもと思った。

 

同じ漢字を使う、「諦観(ていかん)」という言葉に出会った。

てい‐かん〔‐クワン〕【諦観】 の解説
[名](スル)
1 本質をはっきりと見きわめること。諦視。「世の推移を諦観する」

2 あきらめ、悟って超然とすること。「諦観の境地」

※goo辞書より引用

同じ字を使うのに印象が全く違う(笑)

 

さらに、「諦念(ていねん)」という言葉にも出会った。

てい‐ねん【諦念】 の解説
1 道理をさとる心。真理を諦観する心。

2 あきらめの気持ち。

※goo辞書より引用

 

そもそも「諦」という字にはいろいろな意味が込められているらしい。

[常用漢字] [音]テイ(漢) タイ(呉) [訓]あきらめる
〈テイ〉
1 明らかにする。「諦視」
2 締めくくり。まとめ。「要諦」
3 あきらめる。「諦観・諦念」
〈タイ〉仏教で、悟り。真理。「三諦・真諦(しんたい)・俗諦・妙諦」

※コトバンクより引用

こうして色々な意味に出会うと、この漢字を使う諦めという言葉もネガティブだけとはいいがたいかもしれない…

いろんな事を諦めてきたけど、今は今で満たされている。

 

諦めることで別の何かを得ることができる。

どうしても手に入れたいものがあったとして、執念で得るもよしだけど、諦めたら違うものが得られて実はそっちの方がよかったとか重要だったとか。

 

だからどこかのタイミングで見切りをつけたり、執着をやめるべき時があって、それらに抵抗しなくなった時には必ず新たな流れが生まれるんだね。

 

そんなことが「諦」という文字から次の意味が取れるように、

1 明らかにする。「諦視」
2 締めくくり。まとめ。「要諦」
3 あきらめる。「諦観・諦念」
〈タイ〉仏教で、悟り。真理。「三諦・真諦(しんたい)・俗諦・妙諦」

諦めと言うのは節目に必要な存在なのかもしれない。

 

アスリートだっていつかは現役を諦める。別の携わり方の道を進んだり、全く違う世界に入る道もある。

だれもが人生のある時期には諦めを経るのだろう。

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