LGBTという言葉が嫌い

  • 2021年5月28日

便宜上認知度の高い言葉だから使うけどこういう言葉が嫌い。

女性や男性である前にヒトだよ。理解されるかどうか性別じゃなくてヒトとして。

 

何を言うかじゃなくて、誰が言うか。

何をするかじゃなくて、誰がするか。

何を選ぶかじゃなくて、誰が選ぶか。

 

仮にセクシャルマイノリティーな自分を受け入れてもらえないとしたら、相手側の立場になって考えてみたらよくわかる。

受け容れられないんじゃなくて、戸惑っているのだ。

自分たちの領域の安全・安定が乱れたら守ろうとするのは自然の本能だ。

悪い食べ物のように、不適合なら受けつけないのはカラダの仕組みも同じ。

 

男社会、女社会は絶対にあるし、動物にだってグループがある。

反対の性に溶け込む、グループに認めてもらう努力をしないで権利を主張する“権利”はあるのだろうか。

 

経済的や身体的な事情でできないこともあるけど内面を見てと言われても、目に入るのは当然外見や態度。

私も胸部は切除して一見男性の肉体だけど、下半身には男性ならあるべきものがないので、男性に驚かれたり迷惑をかけないように過ごす。

今は銭湯ぐらいしか気を遣うことはないけど、何かに所属するということはお互いにエチケットが必要だ。

浴場だって、使った洗い場をきれいにする、ちゃんと身体を拭いてから脱衣所に行く、そういうお風呂のエチケットがある。

 

手術をする前の性別移行期は男性、女性で区別されていることから離れる方がエチケットだと思っていたし、事実生きやすかった。

裸になるようなところには行かない、トイレも極力いかない、または身障者用を使う。

性で区別されるようなことをしない、そういうところにはいかない。

一方で、男性として社会で受け入れてもらえるように肉体改造やできる努力をする。

 

理解してもらおうとよそに要求する前に、自分自身が適応する努力をすればいい。

小さくても今できる努力を積み重ねているうちに願望は実現するし、

法律や制度の変化が変わっても、「誰」に対する認識がかわるわけではない。

の最新記事8件