5年ぶりの運転免許の更新に行ってきた。
と、その前に美容院でぼさぼさの状態をきれいにしてきた。
5年前の写真と比べて明らかに減った、てっぺんと生え際の髪の量…(´;ω;`)
毛のあるうちに金髪にしたり、今回は毛先をブルーにw
もう、何やってる人だかわかりませんな(笑)
免許更新ではビデオを見せられるんだけど、今回は「ディーブイディーをみてもらいます」に変わってた。
時代の変化を感じる~。
その内容は煽り運転の注意喚起、飲酒運転撲滅と被害者の遺族の声、高齢者への免許自主返納の促し(まぁ定番ですね)。
「被害者側を経験したからこそ、絶対に加害者にならないようにしなければいけないと思っている。」という遺族のインタビューを見て、
もしこの人が事故を起こしてしまったらものすごく葛藤してしまうんだろうな…と心配になった。
加害者への思いを持ったまま加害者になるというのは、どういう心境になるのだろうか。
私は経験したことがないから、遺族側の苦しみも悲しみも怒りも解れない。
だから軽はずみにゆるすとか手放すなんてことは言えないけど、もしも適切なタイミングでこの言葉に触れる機会があったら…。
誰もが失敗をしうるし、思わぬことをやる。
子供の頃のほうがそれがゆるされるけど、大人であっても生きているうちは良くも悪くも色んなことをやる。
いつ、どこで、何に出くわすかは誰にもわからない。それが人生なのかなとも思う。
この二つの言葉は人を前に進めたり、生きやすくもするし、反対にもするなぁと感じたんだよね。
少ないボキャブラリーの中からだけど。
終わってしまった過去は変えられないし残るけど、感情的に終わらせる(手放す・ゆるす)か、終わらせない(執着・怒りなどの所有)かなら、時間はかかっても後者を減らす生き方をしたいと思う。
動きが生まれれるというのは五行のサイクルで「木」。怒りが渋滞すれば先に進めないかもしれない。
ゆるしとか、手放しって言葉は日本の一般的だとスピ系だとか偏見が入りやすい(私がそう思ってんだw)から日常で使いにくいし、
本当の意味や解釈を誤解するとかえって感情をあおってしまうリスクを感じているけど、
この言葉に強い抵抗が無くなったら(私がそうだったように)、これまた生きやすくなる人は増えるんじゃないかなぁ。
なんでもゆるす、手放せばいいんじゃなくて。
私もそろそろ、ハゲた自分をゆるし、髪の毛への執着を手放すときが来たようだ…(笑)