オープンになる、カミングアウトするというのは

カミングアウトについて書こうと思う。

持論では、オープンになるというのは「ドアのカギを開けて自由にすること」

そのことに触れても触れなくてもどっちでもいいよって表現する感じで、カミングアウトしたから理解してと主張するのとはちょっと違う。

わたしがカミングアウトを発信した日

わたしは過去を隠しているっていう感覚が嫌だったのと、発信や活動に自分の経験を役立てていきたいと思って数年前にこんなホームページやSNSを使ってカミングアウトした。

こんなことがあって今生きてるので、まぁ知っていた人も知らない人も改めてよろしく~!みたいな感じ。

このホームページもそんなきっかけのひとつで立ち上げたもの。

 

今はホームページの大掃除を始めているので消してしまった記事とかもあるけど、FTMの事ばかり書いていた時はそれなりのアクセスがあった。

パス度アップ(元女性だとバレないこと)の方法にはみんな興味があるみたい。

 

カミングアウトは儀式みたいな感じで時間が過ぎればそれをしたことすら忘れてしまうぐらい普通の日常に戻るけど、自分の中でもひとつの節目を通過した気になれた。

他人のカミングアウトが気になる

どうやってカミングアウトしたんですか?失敗例成功例が知りたい。これからカミングアウトをしたい、またはなんかの事情で必要に迫られている人にとって、他人の事例は興味あるみたい。

カミングアウトはどうやるかより、してどうなりたいのかだと思う。

カミングアウトに悩む段階で心の内ではどう生きたいかはだいたい決まっていて、欲しいのは了承や同意だったり、家族ならば協力だったりするんだけど、要求ばかりで、ただ理解して欲しいとか、トイレや制服はこうして欲しいとか、だとしたら単なるわがままになってしまう。

世間でも批判されてるLGBT問題は、一方的な主張が多いせいもあるだろう。

 

どんな人に対しても譲り合いの心が人間関係を円滑にしてくれるけど、わたし含めマイノリティーと言われる人たちは一般の人にも配慮しないとね。

マイノリティーは差別されているんじゃなくて、差別を経験する生き方を選んだのだ。する側もされる側も。

行き過ぎた被害者意識や要求ばかりじゃ差別はより強くなる。

 

差別されたくないけど、差別されたり、自分が勝手にそう感じてることもあるよね。

でもいつもされてるわけじゃないから、まぁいいか。って思えると楽だよ。

 

どんな人にも我慢する時もあれば、自由にしていい時もある。

それがFTMならトイレとか風呂とかなのかもしれない。けど、希望を叶える方法もちゃんとあって、手術したり、パスグッズを使ったり、工夫すればいい。

カミングアウトして男性として認めてもらうのは別問題だと思う。

期待がなければ傷つかない

傷つきたくなければカミングアウトしなくてもいいわけだし、結果を期待しないこと。

理解してくれるだろう、改善してもらえるだろう。っていう期待を持たずにどっちに転じてもいいやって思えたら、カミングアウト自体どっちでもよくなる。

したければするし、したくなければしないでいい。

とはいえ、カミングアウトの記事を投稿したときには心のどこかで誰かが何かしらのリアクションをくれるだろうかと期待したよ(笑)リアクションがないのは寂しい(笑)

実際はたくさんの人が色々なメッセージをくれてほっとしたし、かといって関係性の変化は何も起こらなかったので、今日まで何もなかったかのような日々を過ごしている。

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